近年マラソンがブームになっている理由は様々あると思いますが、東京マラソンのはじまりも大きな要因の一つだと思います。
その東京マラソンで男子マラソンの日本記録が生まれる中、私は人生初めての大会公式ペースセッター(いわゆるペースメーカー)という貴重な体験をさせていただきました。
ペースメーカーというと先頭集団を決められたペースで引っ張っているイメージがありますが、3時間、4時間などの切りのいいタイム毎にペースメーカーを置いている大会も少なくありません。今回私に任されたのは5時間30分のペースセッターです。2月初旬に出場した別府大分毎日マラソンでは2時間49分だったので約2倍の時間をかけてのマラソンです。
ペースセッターは参加者のみなさんからわかる必要があるので、こんな目立つ格好で走ります。
沿道からは「ペースメーカー頑張れ!お疲れ様!」と言われることもあれば「風船頑張れ!」と言われることもありました(笑)
ペースセッターの役割
先頭集団を引っ張るペースメーカーとの大きな違いは2つ。一つはスタートからゴールまで全部走ること。もう一つは、ペースセッターについてくる参加者の方々が後半にペースが少し落ちたり給水で止まったりすることを考慮して前半は少しだけ速めに走ることです。
ペースセッターだからといってただ決められたペースで走ればいいわけではなく、ランナーのみなさんに気持ちよく安全に走ってもらう必要があります。そのため走っている間はずっと、
「この先給水ありますよ!のどが渇く前に給水しましょう!」
「〇〇Km地点までいけばパンの給食があります!」
「左の写真撮影ポイントがあります!いい笑顔で写りましょう!」
「東京マラソンで上り坂がきついのはここだけですから頑張りましょう!」
「スポーツドリンクの給水はここが最後ですからエネルギー補給しっかり!」
「40Kmです!ここまできたらゴールしたも同然ですよ!」
「あの角を曲がったらゴールです!」
などなど色々と叫び続けていました。
声をかけてくれるランナーの方もいて、少し会話をしながら走る場面もありました。
ゴール後のランナーを見て感じた「これが本当の自己肯定感」
ゴールが近くなって後ろを振り返ると、私たちペースセッターの後ろには大集団。みんな「この人たちについていけば5時間30分が切れる」と信じて苦しい表情をしながらも頑張っています。
ゴールが見えると後ろから「ありがとう!」と声をかけながら駆け抜けていく方や、なかには「ありがとうございました!おかげで自己ベストです!」と言いながら握手をして、そのあとにゴールまでダッシュしていく方もいました。
ゴール後には泣きながらお礼を言ってくれる方がいたり、日本語がまったく通じない外国人の方から一緒に写真を撮ろうとせがまれ撮影後にハグしたり、多くの方から握手を求められたりしました。名前も知らないどこの誰かもわからない人たちとの一体感は私自身にとってもこれまで感じたことのない感動でした。
ゴール後のランナーのみなさんは一様にマラソンを完走したことや5時間30分というタイムを切ったことに感動していました。感動の対象は走り遂げた自分自身に対してです。誰からほめられるわけでもない、お金になるわけでもない、社会的地位が上がるわけでもない。でも他では得られない達成感と感動がこみあげてくるのがマラソンです。
近年のマラソンブームで市民ランナーの中には速いことが偉いと勘違いしている人もいます。自分より速い人間にはへりくだり、遅い人間には横柄な態度をとる人もいます。今の社会で足が速いことなんてプロランナーを除けば社会的に価値のあることではありません。マラソンなんて所詮は自己満足の世界です。
でも、そういう自己満足の世界で誰もがここまで感動するチャンスがあるのもマラソンの素晴らしさだと思います。
ゴール後に感動しているランナーの方々を見て、自己肯定感ってこういうことなのかなと感じました。
人材教育界隈での「自己肯定感」への違和感
人材教育界隈での「自己肯定感」って言葉には以前からどこか違和感がありました。「自己肯定感をはぐくむためにほめるのが重要」「自己肯定感をはぐくむためには怒ってはダメ」そんな話を聞くと、なんだかモヤモヤした気持ちになりました。
マラソンを走るときには絶対に「もうダメかも」「諦めちゃおうか」「歩いてしまおうか」と思う瞬間があります。自己ベストの倍近い時間をかけて走った私も途中で「ちょっと膝痛いな」とか「体が冷えてきてちょっと気持ち悪い」という瞬間はありました。
その「ダメかも」のときに「やっぱりダメだ」と思わず「自分ならまだいける」と思えるのが自己肯定感だと思うのです。
ゴール後のみなさんの表情が晴れやかだったのは、きつい自分に打ち克った達成感からです。自分に打ち克っての達成感こそ本当の自己肯定感ではないかと思います。
また、多くのランナーの方から感謝され中には泣きながらお礼を言ってくれる方をみて思ったのは、自己肯定感は感謝とともにあってこそ効果を発揮するのではないかということです。
「自分がすごいからできた」のではなく「周囲のサポートがあって、最後は自分の力でやり遂げた」と思えるかどうかが重要なのだと思います。
自己肯定感についてはまだあまり言語化できていませんが、ペースセッターという貴重な経験をさせてもらい、現実に達成感を感じて自己肯定できている方々を見て、なんとなくそんなことを思いました。